空想地図を描き始める。(1991〜1997)

宝の地図を描くように、現実的な世界を描く。
7歳のときです。 

見るだけではおもしろくない。
作りたい…

と思ったのでしょう。

「宝の地図を描く」ような発想で、0から描いて組み立てていく…
これを、おとぎ話でも夢の国でもなく、
あくまで「ありそうな現実」の世界で描きたかったのです。

そうでないと、現実の感覚を持った自分自身が、入っていけません。
現実に生きる自分は、その世界の中で生きていたかったのです。

5歳の頃から鉄道の路線図は描いていましたが、それは1つの路線のみで、単純なもの(線の情報)でした。地域全体のバス路線図や詳細な地図を描くことによって、線ではなく面の広がりで、描く世界を広げていきました。
1992〜1993年頃に描かれた地図 その1
1992〜1993年頃に描かれた地図 その1

どうやら、この頃テレビで過疎地の複式学級の学校を見たようで、気になったようです。また「分校」という存在も気になったようです。
気になったことは自分で1から描いて再現してみたい…逆にそうしないと世界は掴めない。こうして、地図を描きながら世の中を掴んでいった初期の地図。自治体のマークと人口も気になっていたようで、無造作にメモしてあります。

1992〜1993年頃に描かれた地図 その2 (バス路線図)
1992〜1993年頃に描かれた地図 その2
設定上は上の地図と似ていますが、こちらはバス路線図です。地域によって人口の差が極端ですが、どうやら都市部と農村部の差を描きたかったようです。東京都の旧マークに酷似したマークが登場、等高線やバス時刻表も思いつきのまま描き足されています。バス路線図は「東京都バス・ルートあんない」を見過ぎたのか、それに影響されている模様です。

1992〜1993年頃に描かれた地図 その3 (バス路線図)
1992〜1993年頃に描かれた地図 その3
こちらはバス路線図に特化しています。ターミナル駅から山間部へ多数の路線が伸びる様子を描きたかった様子ですが、やはり「東京都バス・ルートあんない」の影響を受けているようです。なぜ行先が「回送バス」なのかは分かりませんが、順序や整合性…の観点なく、単に思いつきのまま描く年頃だったとも言えます。

1992〜1993年頃に描かれた地図 その4
等高線を使って山を表現し、埋立地の地形と石油タンクの形によって工業地帯を表現したかったものと思われます。筆がおぼつかないながら、それぞれの風景を地図という表現方法で再現しようと試みていたのが読み取れます。